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岡田かずのり(和則) 
●1950.3.5 福岡県に生まれる。寅年。 (父は愛媛県出身、母は佐賀県出身)
●1968 高校卒業後、三菱電機鎌倉製作所勤務。
●1982 法政大学社会学部卒業。
その後 針灸師免許取得。
消費税や土地問題で市民運動に参画。神奈川県環境学習リーダー 、 かまくら環境会議結成に参画。93年に深沢のまちづくり提案。
95年に鎌倉市都市マスタープラン作成公募運営委員。岡本保育園父母の会 会長経験。96年鎌倉市社会福祉協議会主催の「精神保健福祉ボラン ティア講座」企画運営委員。鎌倉市地域防災推進委員。
●1997 鎌倉市議会議員初当選「民主党」所属 28位/30人
神奈川県で初の民主党鎌倉市議会議員
●1999.6.30 鎌倉市議会1期3年目で観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事、大船玉縄議員団団長
●2000.6.30 引き続き観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事、大船玉縄議員団団長任期満了にて解任
●2000.12.15 観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事
●2001.4.22 鎌倉市議2期目当選「民主党」所属。8位/28人 5月に市議会会派「民政クラブ」所属。引き続き、観光厚生常任委員会所属
●2002.4.1 4月に市議会政務調査費会派「民主党・鎌倉」創設 会派は1人で無所属。総務常任委員会所属
●2003.9.10 建設常任委員会へ所属委員会を変わる。建設常任委員会副委員長
●2005.4.24 民主党公認で3期目2955票で5位/28人。今年、玉縄議員団団長就任予定
●2005.5. 民主党鎌倉市議会議員団結成。観光厚生常任委員会副委員長。玉縄議員団団長。 2006年、任期満了、議員団団長辞任
●2007.2. 議会運営委員会委員長。
●2008.6. 石渡市政の行政運営に問題ありと一般会計予算をめぐって会派分裂。民主党鎌倉市議会議員団再結成。 3人会派。議会運営委員会委員長辞退。観光厚生常任委員会委員
●2009.4.26
民主党公認、第4期目3011票で5位/28人。
●2009.5.11
民主党鎌倉市議会議員団結成。4人会派。
●2009.5.
総務常任委員会委員長、議会運営委員会委員。
●2009.8 民主党4区衆院選で分裂選挙、勝利。あおりで3人会派へ。
政策は情報公開、市民参画、市民活動支援で福祉、ごみ対策、まちづくり、行財政
 改革

選 挙・・・市民主体の選挙

活 動・・・高齢者保健福祉計画及び元気な高齢者の活動範囲の拡大、少子化問題、大船のまちづくり、環境問題に平成12年度は力を入れました。平成12年度予算等審査特別委員。平成11年の6月議会は大船駅周辺のまちづくり、ダイオキシンの総合的対策No.3を質問。12月議会は少子高齢対策と大船駅周辺のまちづくりを質問しました。平成12年度6月議会は市関連施設の管理委託方法の改善や七里ガ浜ホームの入所高齢者虐待について虐待防止のため苦情相談員のホームへの訪問を提案。玉縄地域の城廻へ平成13年度にミニバスを通すことを提案。また、小学校へインターネットパソコンを平成13年度導入することを提起。9月議会では大船駅周辺の放置自転車の撤去を提案するとともに暫定駐輪場の設置を要望。大船駅東口の平成15年度再開発GOの答弁を市長より引き出す。12月議会では大船駅西口方面の駐輪場の増設を要望し、大船駅東口再開発に向けての行政の姿勢を問う。さらにJR大船駅構内エスカレーター設置に向けて改札口を入ったところのフロアーの拡張を主張。平成13年度以降は段差の解消やエレベーター、エスカレーター、コミュニティーバスなどを使ってバリアフリーのまちづくりを提案、実現させるために奮闘する決意です。なお、行財政改革の一環で議員定数を2名削減し市民、職員と共に苦悩を分かち合う姿勢を示しました。平成13年4月の市議会議員選挙から適用されました。
2009年4月実施の市議会議員定数削減提案(28名→12名)は議会運営委員会で不発。

尊敬する人・・・大久保利通

住 所・・・郵便番号247-0073 鎌倉市植木436-1鎌倉グリーンマンション115
        TEL&FAX 0467-45-8635

職 業・・・鍼灸師
 
あなたの意見と知恵と力をお借りしたい。

インターネットでもEmailいただければ仕事をします。



 
私のふるさと(1993年1月26日付け「神奈川新聞」掲載)

 福岡県の筑豊地帯にある、宮田町という小さな町に生まれた。炭 坑町で、今は見ることのできないボタ山が幾つもあった。塩井川と いう川の上流は澄んでいて、近所の遊び仲間と泳ぎに行ったり釣り に出かけたりした。
 近くに山の神があって、春には町内で大人たちが花見を楽しんで いたことを記憶している。当時は、炭坑地区に職員風呂と工員風呂 があり、工員風呂はとても大きく、飛び込んで泳いではしかられた。

 父は貝島炭坑で働いていて、炭じん爆発後の救助班に編入され、 私が零歳の時に二次災害で失明した。以来、マッサージ師として生 計を立てた。母とよくボタ山に行き、石炭を拾い、冬の燃料の一部 にしたことも楽しい思い出となっている。

 後年、ふるさとを求めて何回も帰ったが、そのたびに町の様相は 一変していた。ボタ山は火を噴き、露天掘りが山の神をなくし、そ の跡は見事な湖となっていた。ただ、川だけが石炭を洗うことから 解放されて、下流まで澄んで流れていた。

 東京に生まれた人が「ふるさとのある人がうらやましい」と言う のを耳にする。が、ふるさとを思い出すたびに、今も私は胸が締め 付けられる思いがする。

 


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